延暦の噴火

 歴史上、富士山は3大噴火と呼ばれる大きな噴火があったとされています。その中で延暦の噴火は、最も古いもので、延暦19年〜21年(西暦800〜802年)、1ヶ月以上の噴火が続いたと記録されています。延暦は第50代天皇、桓武天皇の時代で、長岡京へ遷都し、最澄が比叡山に延暦寺を創建したり、坂上田村麻呂が蝦夷を鎮圧したり、最澄と空海が唐へ留学していた頃です。
 延暦噴火の記述があるのは、平安時代に編纂された歴史書、日本紀略です。日本紀略では、「富士山嶺自焼、晝則煙気暗冥、夜則火光照天、其聲如雷、灰下如雨、山下川水皆紅色也」とあります。煙が上がり、灰が降り、溶岩が流れ出していることが分かります。また、「廃相模国足柄路、開筥荷途、以富士焼碎石塞路也」という記述もあり、足柄路(国道246号ルートに近いそうです)が、砂礫によって塞がれたとされています。ただ、足柄峠周辺に降灰や、熔岩流の跡は見つかっておらず、延暦噴火についてはどこから噴火し、どの程度の被害があったのか詳しくは分かっていません。日本紀略の通りだとすると、矛盾が出てきてしまうからです。なお、この続日本紀では、天応元年(781年)に富士山から灰が降ってきたという記述があり、これが富士山噴火の最も古い記録になっています。