富士山は、山梨県と静岡県にまたがる、日本最高峰の活火山です。日本最古の物語である竹取物語では、不死の山で不老不死の薬を焼く、というラストになっています。この不死の山が富士山だったかは分かりませんが、富士山はもともと不二山もしくは不尽山と表記されていたという説もあります。10世紀半ばに成立した物語にも登場するように、富士山は昔から、日本人にとってひとつのシンボルでありました。 富士山についての書かれたもので最も古い記述は、「常陸国風土記」です。常陸は現在の茨城で、茨城山のお話の中に、富士山は福慈岳という名前で登場します。どんな話しかちょっと紹介しますね。祖神尊が御子神たちのもとを巡っていたときのこと。(祖神尊というのは、御子神の親のことで、御子神は日本全国にいらっしゃいます。)
 福慈岳(富士山)に、日暮れになってしまったため泊めてくれとお願いします。ですが福慈神は、今日は新嘗の物忌みですから、泊めることはできないと断ってしまいます。怒った祖神尊は、福慈神が住む福慈岳は、これから先、冬も夏も、雪や霜に覆われた寒さ厳しい、人も登らず、御食を献てまつる者もいなくなるだろう」という言葉を残して去っていきます。この後祖神尊は筑波山の筑波神の元を訪れます。筑波神はといえば、新嘗の物忌みとはいえ、親の頼みを断ることはできないといい、もてなしをするのです。こうしてこうして福慈岳(富士山)は、夏でも寒く、人が上らない寂しい山となり、筑波山は人々が絶えず訪れ、御食も耐えない山になったというお話。常陸国風土記は奈良時代初期に編纂されたもので、この当時から富士山は険しく、畏怖すべき山であったことがうかがえます。世界文化遺産に登録され、ますます日本を代表する山として世界にその名をとどろかせることになった富士山。その富士山を詳しく知るためには、富士山の噴火の歴史を知る必要があります。なぜなら、世界に誇る富士山という、円錐形の美しい山は、噴火によって作られたからです。
 富士山は、昔から霊峰とされていて、山頂の信仰遺跡や北口本宮冨士浅間神社、富士山本宮浅間大社、山宮浅間神社、村山浅間神社、須山浅間神社、冨士浅間神社、河口浅間神社、冨士御室浅間神社などが文化遺産の構成資産となっています。富士山に限らず、日本では多くの山岳信仰がありますが、富士山の場合は噴火がその信仰の大本になっています。奈良時代から平安時代ごろ、富士山の活動はとても活発な時期でした。そのたび重なる噴火から、富士山は日本人にとって畏怖すべきものとなったのです。日本は、荒神のように、畏敬の念を持つことで危害や不幸を免れるというような考え方がありましたから、それが富士山への信仰に繋がっていったわけです。昔から、富士山の噴火は恐れられ、敬われてきたのです。
 そして現在、1707年に起きた宝永の大噴火から300年たった今、再び富士山の噴火が心配されています。本当に富士山の噴火は、もうすぐ噴火を始めるのでしょうか。宝永大噴火の時には、江戸でも5センチ以上の火山灰が積もったと記録されています。もしも富士山が、大規模な噴火を始めた場合、その被害は江戸時代の比ではありません。  このサイトは、もしも富士山が噴火したら、どのくらいの被害が想定されているのか、過去の噴火を例に検証していきたいと思います。